2016年05月30日

薬のはなし カビが動物のアトピーの治療に役立ったり、ひとの臓器移植に貢献したり

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私はいつか、北米を流れる雄大な川、ユーコン川(Yukon river)を下りたいとおもっています。いまはまだ漠然とした計画にすぎませんが、カナダのユーコン準州からアラスカを横断して、ベーリング海にいたるまでの全長3700km を漕ぎ切る、という大きな旅。必ずや実現したい夢のひとつです。

そのアラスカに生きた星野道夫さんがこんな話を書いていました。
「彼女はね、五年前にガンをわずらって医者に見放されていたの。もう一年も生きられないって」
 メアリーは作業の手を休めずに、一人の老婆のことを話し始めた。
「それから彼女は、医者に隠れて、ずっとデビルスクラブの薬草を飲んでいたの。病院の医者たちは奇跡だと言って、首をかしげていたらしいわ。(中略) 彼女は子どもの頃、お父さんから聞いた話を信じているの。それはね、父親がある日、森に狩りに行ったとき傷ついたクマが、デビルスクラブを傷口に当てていたという話……」

薬というものは不思議なものです。人間のために生まれてきたわけではない、そんな植物やカビの仲間から抽出した化学物質が、人間や動物の治療に役立つことがある。
抗生物質のペニシリンやストレプトマイシンはその先駆けで、シクロスポリンという薬は免疫を抑える働きによって、臓器移植の成功率を飛躍的に高めました(獣医領域では犬アトピー性皮膚炎に使う薬がシクロスポリンです)。このシクロスポリンを作っていたのが、ノルウェーの高原の土壌中にいたカビの仲間だそうです。

海浜動物医療センターでは抗生物質、消化管機能改善薬、ホルモン製剤など、さまざまな薬を処方しています。動物病院の世界は医薬分業になっていないので、それぞれの病院がいろいろな薬を用意しなければなりません。
新薬も次々と登場して、ときどき、薬品メーカーの方が新薬の説明にいらっしゃいます。効能、飲ませやすさ、料金などいろいろな要素を考えて、その薬を使うか決めていきます(昔より、動物に飲ませやすい薬が増えてきました。まだ不十分ではありますが、メーカーの奮闘を歓迎します)。

いまも検討中の薬が幾つかあります。飼い主、動物双方にとって「いい薬」を処方していきたいと考えています。

写真はイクスピアリで撮ったもの。商業施設では美しい植物をいろいろと観賞できることがあります。無料の植物園です。
posted by kaihin-amc at 08:46| Comment(0) | 動物病院

2016年05月28日

旅先で出会った子犬3頭 「持ち帰る?」

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沖縄の離島で、写真の子犬に出会いました。地元の少年が自転車に乗せて、近寄ってきました。

「旅行で来てるの? 1頭、持ち帰る?」

魅力的な提案ですが、残念ながら、辞退しました。写真のデータをみると、撮影は10年前。どんな老犬になったでしょうか。

不定期で、旅先で出会った動物たちを紹介します。
posted by kaihin-amc at 01:22| Comment(2) | 旅先にて

2016年05月26日

救おうとするのが、人の摂理

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「弱っている子猫を保護しました。いまからみてもらえますか」

病院にはときどき、飼い主がいない、つまりは野生の動物がやってきます。野良の子猫だったり、翼の折れた野鳥だったり、状態が悪いことが多い。
たとえば、目も鼻も膿だらけで、冷たい体の子猫。心臓の音も弱々しい。指を口の中にいれても、ミルクを吸い込む力は、もうない。

「助けてほしい」、保護した人がそうおもうように、獣医師もその動物を助けたいとおもう。ただ、現実はきびしい。保温、点滴、注射・・・できるだけのことをやっても、どうにもならないことも多い。飼い主とともに、子猫が徐々に命を失う様子を、見守ることしかできないこともあります。そんなとき、思い出すのは、中島らもさんの小説『今夜、すべてのバーで』の一節です(少々長い引用になります)。
「なおる奴もいりゃ、死んでく奴もいたよ。私は、なんとか助けてやりたいと思った。ことに子供の患者はな。そうだろ? 子供なんてのは、人生の中で一番つまらないことをさせられてるんだからな。私だって十七までに面白いことなんか何ひとつなかった。面白いのは大人になってからだ。ほんとに怒るのも、ほんとに笑うのも、大人にしかできないことだ。なぜなら、大人にならないと、ものごとは見えないからだ。小学生には、壁の棚の上に何がのっかってるかなんて見えないじゃないか。そうだろ?」
「そうですね」
「一センチのびていくごとにものが見えだして、風景のほんとの意味がわかってくるんだ。そうだろ?」
「そうです」
「なのに、なんで子供のうちに死ななくちゃならんのだ。つまらない勉強ばっかさせられて、嘘っぱちの行儀や礼儀を教えられて。大人にならずに死ぬなんて、つまらんじゃないか。せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。天の一番高い所からこの世を見おろすような一夜があって。死ぬならそれからでいいじゃないか。そうだろ。ちがうかい?」

こんなすばらしい地球に生まれてきたのに、何も知らぬままに去るのは切ないと、私はおもいます。春のあたたかな陽気も、冬のはっとするような冷気も、食後のまどろみも知らない。目の前の消え入りそうな命を前に、どうにか、この世界を生きてほしいとおもう。治療をするとき、獣医師という科学者としての私は冷静な判断を下す必要がありますが、同時に、私は祈りながら注射をうったり、体を触ったりすることがあります。おこがましいですが、自分の治療がこの命を救うことに役立てばと。

ただ、自然の中で生きる動物が、きびしい生存競争に負けて死ぬのは、自然の摂理でもあるでしょう。そうやって、地球上のいきものはやってきて、さまざまな種類の動物が、それぞれの道を切り開いてきたのだとおもいます。人間の勝手な感傷で、野生動物を救うのは間違っているのかもしれない(子猫は助けたいとおもう人全員が、死ぬかけているカラスを救おうと懸命になるだろうか。私たちの純粋な心のうらに、「ひいき」がないと言い切れるだろうか)。

そうした理屈があっても、それでも、目の前の苦しんでいる動物を救いたいとおもう。それは人間の摂理。自然の摂理をこえるものが、人間の摂理かもしれません。
posted by kaihin-amc at 14:02| Comment(2) | 動物病院