2018年07月21日

思い出話:「新・心のサプリ」より抜粋

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「思い出話というものをしたことがなかった」という一文ではじまる、海原純子さんのエッセイから、長文を引用します(2018年7月8日付の毎日新聞、新・心のサプリ)。
さて、この春16年同居した猫がなくなり、その経緯はこのコラムでも書かせていただいたのだが、連載を始めて以来最も多くの反響があり、ずい分たくさんの方が同じような思いを共有しているのだ、と感じて驚いた。

いただいたお手紙の中に、ご自分も同じように猫をなくされたが、猫が死を受け入れ怖れることなく旅立つのをみて、自分ももう死を怖れるのをやめて一日一日を大事に過ごそうと思い、生と死に対する考え方が変わった、という内容がつづられていて心に沁みた。

また、私が産業医をしている企業に勤務する女性は、まだ20代の、就職が決まり働き始めたばかりの息子さんが非常にまれな悪性腫瘍と診断され、入院し化学療法をうけていた。息子さんの大好きな猫を家で飼おうと、家族で「保護猫」をえらびひきとってきて写真をスマホで病院に送ったら、息子さんは酸素吸入をうけながら、Vサインをつくり唇で「ナイスチョイス」と伝えた。猫をひきとってきたその日の夜、息子さんは亡くなった。
「退院したら抱かせてやりたかったのに」という猫について「その猫が家に来てからの日数は、息子が亡くなってからの日数でもあるのです」と女性は話してくれた。

新聞のコラムを読んだ方からいろいろな場所で、猫にまつわるさまざまな話をきいた。また多くの方から私と猫の話について問われることがあり、猫との最後の1週間の話をすることになった。思い出を少しずつ振り返る。何を感じ、何を願い、何を共有し、どう受け入れ、どのように過ごしたか。さみしくても悲しくはない、という体験したことのない思いを教えてくれた猫にどんなに感謝したか。共に過ごした日々をどんなに愛していたか。思い出話である。すると、不思議なことに、思い出話は、過去のことではなくなり、「今」になる。過去と今がつながり、失ったものは何もない、という感覚が生まれてくる。

大切な人や、愛する対象を失うことはつらい。しばらくは思い出話はできないだろう。でもある時、大切な人や、共に暮らした仲間との幸せな日々や言葉を振り返る時、その瞬間、思い出は過去ではなく、今になり、私たちを支えてくれる。
このコラムは毎日新聞の日曜版で連載されています。
posted by kaihin-amc at 23:26| Comment(0) | いろいろなこと
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